彷徨う視線
掠る指先
穏やかな沈黙を通り抜ける風
愛しい気持ちが、零れるほど胸に沸き出る
年明けに仲間たちと来た中華街。
加地も香穂子も来たのはそれ以来で、今回は二人で来ている。
厳しいほどの寒さは緩み、身を竦ませていた風は涼やかに感じられる。
観光名所であるここは春休みということもあり、人でごった返していた。
「だ、大丈夫?香穂さん」
「大丈夫……」
暖かくなってきた季節にこの人込みは暑いくらいで、思わず溜め息が零れる。
少しだけ前を歩く加地は時折香穂子の様子を見る。
それと目が合う度、香穂子は大丈夫と微笑するが、如何せん状況は辛いものがある。
ふと、加地の左手を見る。
コンミスになるため、アンサンブルコンサートに向けて奔走していた時に加地との距離感を掴みあぐねていた時。
あの時は、ただ距離を置きたがる加地に意固地になり、躍起になって手に触れようと苦心していたが。
(………できない…っ)
どうも勢いが必須らしい。
「この人ごみで迷うといけない」という名目ならばっちりあるのだが。
あれから、少しずつ距離を縮めてくれる加地。
少しずつ少しずつ、香穂子と加地自身が歩み寄る感覚は、本当に大切にされているのだと今は信じられる。
「ね、加地く……」
人込みを理由付けに、今なら。
自分が少しだけ、頑張れば。
呼んで、見上げる位置にある加地を見る。
陽の光が柔らかにぶつかり透けそうな髪の色と同じくくらい、優しい笑顔を。
「加地、くん……?」
見えるのは見覚えのない沢山の頭。
「加地くんっ」
無駄とわかりながら、一縷の望みで声を張り上げる。
「加地くん!どこ!」
彼はこんな悪戯しない。
どうしよう。
「……はぐれた…?」
呆然としかけたが、往来で立ち止まる訳にいかず広場まで出て、携帯を取り出し電話をかける。
が、コールがかかる前に通信が途切れた音がする。
余程混雑しているらしい。
(そういえば前も……)
以前は自分よりはるかにしっかりした天羽で、自分は加地と志水といた。
パタンと携帯を閉じて、出来るだけ遠くを見るために背伸びしてみたり方向を変えたりしたが、余り効果はなかった。
加地は自分がいないことに気付いたら、きっと必死で探してくれている筈だ。
なら、うろうろ探すよりもここでじっとしているほうが早く会える筈。
少し冷静になったらしく、それに気付いて深呼吸する。
(来て、くれる)
不意に視線を感じ、訝って再度首を巡らせた。
「ねえ」
視線を外した隣りから知らない声がかかった。
見上げればやはり知らない男が二人。
迷ったと思ったとき以上に血の気が軽く引いた。
「どうしたの?迷った?」
「はあ……」
「じゃあさ、見つかるまで俺たちと遊ぼうよ」
「友達が見つかったらそのコも一緒にさ」
「いっいえ、大丈夫です」
場所を移動しようと背を向け歩こうとしたが、腕を掴まれ阻まれた。
「っ、」
「良いじゃん。そんな怒んなくてもさ。可愛いのに。なあ?」
可愛い、なんて四文字違わず加地に散々言われているのに、嘲られた気すらした。
一瞬苛立ちすらしたが、暴れたところでどうしようもないし、怪我をする訳にいかない。
だけれど。
――――嫌だ。
会いたい。早く早く早く。
「か……っ、離して、ください」
加地を呼びそうになり、止めて、それだけ言った。
それだけなのに、声が震えた。
「そんなつれないこと言わないでさあ…」
腕を掴んでいる男とは別の男が肩を抱く。
耐えられない。
込み上げるように、さっき止めた名前が、そのひとが、体中を駆け巡る。
「加地く――――」
半ば叫びかけた途端、腰を掴まれ体が浮いた。
「ナンパ自体どうかと思うけど、やり方ってあるんじゃない?」
耳に馴染んだ甘やかな声は怒気を孕み、常より低い。
だけれど香穂子は、泣きたいほど安心した。
子供にするように腰のあたりで抱き上げており、加地の顔が下にある。
努めて息は押し殺しているが、大きく上下する肩と、体のバランスを取るために添えた肩
先と腰に回した腕の熱さで一生懸命探してくれたことが知れる。
腰に回している腕に力が込められたのがわかった。
見辛いが、怒っていることだけはわかった。
端正な顔が怒りに染められると迫力がある。
それにおされたのか、暫く二の句が告げずにいた彼等は舌打ちを残し、人込みへ紛れた。
「加地く……っ」
「ごめんね香穂さん。……怖い思いさせた」
ふるふると首を振る。
怖くなかったと言えば嘘だけれど。
「迷ったときも加地くんなら来てくれるって信じてたもん」
「香穂さん………」
張り詰めた心がゆるゆると解ける。
「加地くん、あの、ね」
「なぁに?今なら…いつでもだけどなんでも叶えてあげる」
「嬉しいけど、とりあえず下ろして欲しい…かな?」
「え……あっ!う、わっ」
見上げ香穂子しか見えていない加地はともかく、香穂子は視線をひしひしと感じる。
慌てたのは加地も同じで、ひたすら絡まれていた香穂子を奪取することだけを考えて居た。
慎重すぎるほどの手つきで香穂子を下ろした。
「えと、ごめん……」
嫌だったかと結論付け、怒られた子犬のようにしょんぼりと香穂子を見下ろす加地と、先程の静かに瞳に怒りを立ち上ぼらせていた加地があまりにも結び付かない。
「ふふっ」
「香穂さん?」
「ううん。…ありがと」
朗らかに笑った香穂子に、加地の顔が緩んだ。
「加地くんあのね、」
「香穂さん」
あえて遮った柔らかい声音に、香穂子は口を噤んで加地を見上げた。
「手繋がせてくれる?」
え、と香穂子は目を丸めた。
「はぐれたことも応えたけどさっきのは…やっぱりね。
力ずくで取られるくらいなら、鍵かけて隣りにいてもらった方が良いかなって」
少し悪戯っぽく笑って手を差し出した。
「手を取ってくれる?」
香穂子は言葉ではなく、行動で応えた。
そろりと手を出し、一回りと少し大きい手の上に重ねた。
加地は心のままの笑みを浮かべ、重ねた香穂子の指先に掠めるように唇を触れさせた。
「すきだよ。
すきだから、未だ触れるのは、少し怖いけど」
きゅ、と重ねられた香穂子の手を握った。
「でも、幸せだね」
とくり、と優しく鼓動が音を立てた。
大切にしてくれていると思えた。
緩く繋がれた手は、真綿よりも優しく包んで。
ともすれば抜け出てしまいそうな力ともいえない強さだが、元よりこちらから放す気なんてない。
こっそりと香穂子は加地を見上げた。
きっと、今のところ自分では羞恥が勝って言えないけれど。
あいしてる、と告げたら、彼はどんな顔をして、なんて言ってくれるのだろう。
だけれど今は、触れ合えるだけの距離で。
(間違いじゃないよね?誰より好きでいることには変りないから)
力が少し、籠ったのは、どちらの指か。
あとがき。
前回までの加香と様々な矛盾が起こりそうですが、アンコールでまさか加地があんな純情純粋根暗ボーイだとは思いもしませんでしたので…(暴言)
そういえばステラが年下ってことにびびります。1年組と火原はともかく……LRとAB型コンビが年下って……。